孔子は『繋辞伝』の中で、
「天尊く地卑しくして、乾坤定まる。卑高陳びて、貴賤位す。」
と述べています。
ここでいう「貴」と「賤」、そして運の良し悪しの本質は、実は「位」にあります。何が尊く、何が卑しいのか。何が幸運で、何が不運なのか。その鍵は、自分が“あるべき位置”にいるかどうかにあるのです。
世の中に絶対的に尊いものも、絶対的に卑しいものも存在しません。貴賤とは、そのものが置かれた場所や立場によって生じる相対的なものに過ぎません。自らの位に適っていれば調和し、位を外れれば乱れが生じます。
『易経』六十四卦の第一卦である【乾為天】は、下から上へと初爻・二爻・三爻・四爻・五爻・上爻の六つの位によって構成されています。それぞれの爻位には異なる意味と示唆があり、以下では乾卦六爻が示す「位」の智慧について順に見ていきます。
赤く示されているのは第一爻、すなわち「初爻」です。これは物事の始まりの段階を表しています。
初爻は卦の最下位に位置しており、まさに「物事は始めが難しい」という状態です。上にはまだ五つの爻があり、その圧力の中で動かなければならないため、思うようには進みません。
例えば、新卒で社会に出たばかりの新人を考えてみましょう。どう振る舞えば「位に適う」と言えるのでしょうか。積極的に自己主張し、能力を見せつけることでしょうか。必ずしもそうではありません。
『周易』乾卦初爻の爻辞には、
「潜龍勿用(潜龍、用うるなかれ)」
とあります。
たとえ龍のような才能を持っていたとしても、今の環境では軽々しく動くべきではない、という意味です。
もちろん、「龍が浅瀬にいれば小魚やエビに侮られる」ということもあるでしょう。しかし、時期尚早に頭角を現すことの方が、かえって危険な場合もあります。現実社会では、嫉妬深い上司一人の存在によって、理想や志が潰されてしまうことも少なくありません。
しかし逆に言えば、最も低い位置にありながらも忍耐と冷静さを保てる人こそ、真に「龍」となる素質を備えているとも言えます。初爻は最下位である一方、最も成長の余地を持つ場所でもあるからです。
だからこそ、焦る必要はありません。まずは地道に基礎を築くこと。それこそが、この段階で最も重要なことです。
伸びることよりも、耐え忍ぶことの方が難しい。屈することを知る者こそ、本当の君子なのかもしれません。
では、いつ動くべき時が来るのでしょうか。
初爻が変化すると【天風姤】となります。「姤」とは「出会い」や「機会」を意味します。つまり、時が来るまでは焦らず待つことです。
太公望(姜子牙)でさえ、周の文王に見出されたのは七十二歳の時でした。少なくとも、自分の運が彼より悪いとは思わなくてもよいでしょう。
「小さな蓮の芽が水面を出したばかりなのに、すでに蜻蛉がその上に止まっている。」
長い忍耐と蓄積を経て、ようやく泥の中から芽を出した状態――それが【乾為天】の第二爻です。
実のところ、第二爻は乾卦六爻の中でも、かなり居心地の良い位置だと言えます。すでに最下層は抜け出しており、上には第三爻があるため、自分一人で全ての責任を背負う必要もありません。上に支える者がいて、下にも支える余地がある。さらに第五爻のような絶対的立場とも距離があるため、精神的な圧力も比較的少ない場所です。
もし平穏で安定した環境を好み、それ以上の競争を望まないのであれば、この位置に留まるという選択も決して悪くありません。(実を言えば、私自身もどちらかといえばそのタイプで、乾卦のような絶えず上を目指す世界は少し疲れてしまいます。笑)
しかし、乾卦が象徴するのは「龍」です。強き者は、なお自らを励まし続けなければなりません。では、この段階では何をすべきなのでしょうか。
爻辞にはこうあります。
「見龍田に在り。大人を見るに利あり。」
「見」とは現れること、「田」とは地上を意味します。つまり、初爻の潜伏段階を越え、第二爻ではようやく“力ある者”として世の中に姿を現し始めた、ということです。
初爻の頃よりも、人の目に触れる機会は増えていきます。そしてこの位置は、堅実に自分の役割を守っていれば、大きな圧力を受けにくい場所でもあります。
だからこそ、この段階で重要なのは「人との縁」を築くことです。
第二爻が変化すると【天火同人】となります。「同人」とは、文字通り“人と共にある”という意味です。
そろそろ、人との繋がりを広げていく時期なのかもしれません。
しかし、第三爻にいる人は、そこまで自由気ままではいられません。
乾卦六爻の中でも、第三爻は最も苦しく、重圧の大きい位置だと言えるでしょう。
「また一段昇進したのだから、盛大に祝えばいいじゃないか」と思うかもしれません。けれど、現実にはそんな余裕はありません。
第三爻は内卦の最上位に位置しており、その先にはすでに外卦――つまり組織の中枢や上層部が待っています。(初爻・二爻・三爻が内卦、四爻・五爻・上爻が外卦です。)
上からの圧力を真正面から受けながら、同時に下の人々も支えなければならない。発展は次第に壁にぶつかり、一歩の判断ミスすら許されない段階に入っていきます。
だからこそ、爻辞にはこうあります。
「君子終日乾乾、夕べに惕れて厲しけれども、咎なし。」
君子は一日中努力を怠らず、夜になってもなお緊張感を失わない。危うさを忘れず、自らを律し続けることで、ようやく災いを避けられる――そんな意味です。
正直、かなりしんどい位置です。
ですが、ここで踏みとどまれるかどうかが、本当に「龍」となれるかの分岐点でもあります。
そのため、乾卦の他の爻では「龍」が用いられているのに対し、第三爻だけは「君子」という言葉が使われています。ここで試されるのは、単なる才能ではなく、人としての器や責任感だからです。
部下を持った経験のある人なら、この感覚が少し分かるかもしれません。部下からは「上司が厳しすぎる」「細かすぎる」と言われることもありますが、第三爻の立場から見れば、その厳しさにもまた事情があるのです。
結局のところ、誰だって血の通った人間なのですから。(笑)
そして第三爻の変卦は【天沢履】。
「履」とは、踏み行うこと。
どれほど立場が上がっても、最後に必要なのは、やはり地に足のついた歩みなのかもしれません。
『易経』には、とても興味深い法則があります。
それは「三多凶(さんたきょう)」――すなわち、六十四卦において第三爻には困難や不安、重圧を伴うものが多い、という考え方です。
これはまさに、「位」の重要性を示しているとも言えるでしょう。
多くの人は『易経』を、「どうすれば運が良くなるか」を教える書物だと思っています。しかし実際の『周易』は、単なる慰めや前向きな言葉を与える“人生の教科書”ではありません。
むしろ、一杯の苦い茶のようなものです。口に含んだ瞬間は苦く感じるかもしれません。しかし、静かに味わい続けることで、あとから深い余韻と甘みが残ります。
私が『易』を読み続ける理由の一つも、そこにあります。
庄宇
2017年 季秋
丁酉年 庚戌月 甲申日