四爻:「或躍在淵」。
易経には「三爻は凶多く、四爻は懼れ多し」という流れがある。
四爻の位置は外卦の初めにあり、高位の中ではまだ下層に属し、しかも五爻の君位にも近い。いわゆる「君に近づけば虎に仕えるが如し」であり、どうして慎重にならずにいられるだろうか。ゆえに「懼れ多し」とされるのである。
爻辞には「或躍在淵、咎なし」とある。
まるで深淵の縁に立つかのように、一歩進めば頂へ至る可能性がある一方、一歩誤れば足を踏み外す危うさもある。進むべきか退くべきかと思い巡らす、その揺れる心を「或」という一字がよく表している。
コンラッドはこう語った。
「大胆さは勇気を生み、多疑は恐れを生む」。
だからこそ、若者よ、進め。
爻辞は「咎なし」と述べることで、大胆に前へ進むことを励ましているのである。
変卦は【風天小畜】。
これは力を蓄え、時機を待ちながら進むことを意味している。
五爻:「飛龍在天」。
成語「九五の尊」は、この爻に由来する。
五爻は卦の中でも最も尊い位置にありながら、過度に偏ることなく、「飛龍在天」として大空を翔ける。まさに高みに立ち、万物を見渡す境地である。
初爻からここに至るまでには、多くの鍛錬と積み重ねがあった。
初爻の不屈、二爻の中正、三爻の忍耐、四爻の精進――それらを経てこそ、五爻における大成へ至るのであり、決して偶然ではない。
逆に言えば、こうした徳や積み重ねを欠いたまま高位に立ったとしても、その座を安定して保つことは難しく、人の上に立って全体を導く力もまた不足するだろう。
変卦は【火天大有】。
まさに、太陽が天の中央に昇るかのような盛運の象である。
上爻:「亢龍有悔」。
上爻とは第六爻、すなわち卦の最上位にあたる。
しかし、「最も高い位置にあること」が、そのまま「最善」であるとは限らない。
易経が示す重要な法則の一つに、「物極まれば必ず反る」という道理がある。
孔子はこう語っている。
「進むことを知って退くことを知らず、存することを知って亡ぶことを知らず、得ることを知って失うことを知らず。」
この世のあらゆる物事には、盛衰と起伏がある。
栄えれば衰え、満ちれば欠ける。それこそが人生の常である。
それにもかかわらず、退くべき時を知らず、法則を見誤り、あるいは欲に心を曇らされて、ただ前へ前へと進み続ければ、最後には必ず悔いが生じる。
上爻の変卦は【沢天夬】。
天の道理とは本来、決断すべき時には決断することであり、悔いを知ることもまた、人が改まるための機縁なのである。
庄宇
丁酉年 壬子月 辛未日